中年の危機になってからやめたこと

日記

今からおよそ3年前、40代〜50代になると大半の人が陥るという「中年の危機」という大人の思春期ともいわれる苦しいフェーズに自分も突入した。

この苦しい状態を少しでも楽にするべく、いろいろなことをやめることにした。「やめる」ということはある種、「諦める」ということも含まれる。厳密にいうと「今まで拘ってきた自分の思いや目標を諦めてやめる」ということになる。

とても勇気のいることだけど、中年の危機を乗り越えるためには非常に重要なことである。

「中年の危機」では、自分の体力や気力、残された時間は有限であることをまざまざと目の前に突きつけられる。自分はまだまだ出来ると抗えば抗うほど苦しさのスパイラルにはまり込み事態を悪くする可能性がある。

まずは今、いろいろなことを抱え過ぎていないか?抱えなくても良いことを抱えていないか?自分の背中に背負っている荷物の断捨離を行うのである。

中年の危機を自覚した自分がやめたものを思いつく限り記してみる。

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管理職をやめた

一番初めにやめたこと、管理職を辞すこと。

自分にとって一番重荷になっていた管理職という荷物を下ろした。

もちろん給料も下がる。それでもこの荷物を下ろさないことには根本的な解決には至らないと考えて思い切って下ろすことにした。

あとは、管理職をやめることができたら、きっと、その他のこともやめるのなんて簡単になるだろうとも思ったし、その予想は当たっていた。

今までの経験にしがみつくのをやめた

長いことエンタメ系の業界にいたのだが、社内異動という形でエンタメ業界から離れて今は全く違う業界で働いている。

このままずっと歳を取っても自分が同じ業界で働いているイメージができなかったし、業界といってもとある会社のとある部署に長くいるだけで、1歩外に出ればいち会社のいち部署の経験なんて全く通用しない。自分が今まで行ったことのない場所に身を投じて、縦を伸ばすのではなく、横を広げることをやておかないとヤバいことをなんとなく感じ取った。

管理職をやめて自分自身と向き合う時間ができたからこそ気づいたことなのかもしれない。

飲み会をやめた

職場関係の飲み会、プライベートの飲み会、どっちもやめた。

誘われた場合は極力断り、自分から誘うのも一切やめた。

大概の飲み会は愚痴大会になるし、そういう大会に自分の時間やお金を使う余裕がそもそもないことに気づいた。

これは前述の管理職をやめたことも相まって促進することができた。

なんの目的もない飲み会も楽しいのだけど、これまで散々やってきたからもういいかなと。

何か本当に伝えたいこと、話したいことができたり、会いたいなと思った時に自分から誘って厳選した飲み会を実施することにした。

知ったかぶりをやめた

これも管理職だった立場上無理していたこともあるのだけど、わからないことを素直に「わかりません」「知りません」ということを良しとしていなかった。

その場で調べるなり、今までの知識や経験を総動員して、なんとかかんとか回答するか、もしくは回答するための時間をもらったりしていたけど、無理してそんなことをしても何の意味もない。

わからなかったり、できないことがあればそれが得意な人にお願いして任せればいいのだ。

もしかすると人に「お願いする」ことに抵抗があったのかもしれない。

知ったかぶりをやめてからというもの、お願いしないとできないことがたくさんあることに気づいた。そして、それを得意とする人は必ず近くにいて、お願いしたら自分よりも断然若いのに、いとも簡単にやってのけてくれる。すごく頼もしいし、素直に尊敬することができるようになった。

そもそも、今まで経験したことのない部署に異動して右も左もわからない自分にとって、わからないことが当たり前で、人に聞いたり、頼らざるを得ない環境に身を移したことも功を奏しているのかもしれない。

無理に笑うことをやめた

これはもう少し厳密にいうと、何らかの集まりの場でなんらかの話題で盛り上がる時があるが、その話題について自分が知らなければ無理してその盛り上がりに参加することをやめたということになる。

それまでは知らない話題だけどその場を白けさせないために自分も知ってるふりをして愛想笑いをしていた。

愛想笑いほどしんどいものはない。

知ったかぶりをやめたことにも通ずるけど、愛想笑いをやめて興味のある話題だったらどういう話なのかを聞くようにしている。

興味がなければ何も聞かず、その話題が終わるのを待っている。

それで感じの悪いやつと思われてもそれが自分だから仕方がないのである。

会社や組織に対するエンゲージメントを高めることをやめた

最近は会社や組織に対するエンゲージメントを高めることを目的にしたイベントっつーのがよくあるけど、こういうのに参加しても自分のエンゲージメントが高まっている実感はない。

それはそのイベントがエンゲージメントを高めるイベントと称した懇親会であるパターンが多いからなのではないかと思う。

メンバー同士のエンゲージメントが高まってるとは思うけど、会社に対するエンゲージメントが高まったかと言われたらNOなのである。

そもそもこのエンゲージメントを無理やり高める必要ってあるのだろうか?

会社に愛着を持って働くことはとても良いことなんだけど、そうじゃなかったらダメというわけでもないはずで。

会社や組織に対する矢印ではなくて、まずは目の前にある自分の仕事に対する矢印を太くすることが大切なのではと思う。そうすれば自ずとエンゲージメントとかいうものも高くなってくるもんなんじゃないかと思うのである。

夜更かしをやめた

仕事が始まる明日が来るのがいやで、毎日夜更かしをしていた。寝るとあっという間に朝になってしまうことが嫌だった。夜中の2時、3時まで起きてるのが当たり前で、その分朝が来るのを遅らせることはできたけど、やっぱり、身体は正直で、悲鳴を上げる。そんな状態で仕事をすれば、そりゃあ効率も悪くなり、また明日がくるのが嫌になる。

そんなスパイラルを断ち切るために早寝早起きに挑戦することにした。

夜は遅くとも11時には寝て、朝は5時半に起きる。

効果は明らかだった。

しっかり睡眠をとることで体のだるさや日中の眠気がなくなった。自然と仕事に対する集中力も上がる。仕事が進むから明日が来るのも少しずつ嫌じゃなくなる。早く寝ることにも抵抗がなくなる。いいスパイラルが回りはじめている。

夜更かししても碌なことをしていなかった。今考えても仕方のないことをグルグル考えてしまったり、観ても後に何も残らないようなYouTube動画を何時間も観てしまったり、朝に向かって過ぎていく時間を気にし過ぎて結局何もしなかったり、いつもそんな罪悪感に苛まれる夜更かしだった。

寝ることを何でこんなに怖がっていたんだろう。もっと早く、寝ることの大切さに気づくべきだった。今は寝ることを楽しみに毎日を過ごしている。

グミレビューをやめた

昨日も書いたけど、気分の乗らないブログ運営や意味のない広告表示をやめた。

テレビを観るのをやめた

テレビも観始めると1時間、2時間なんてあっという間に過ぎちゃうし、かといって観終わったあとに何か残ってるかというと何も残ってないことが多いのでやめた。

家族はドラマをよく観ているが、ドラマ鑑賞が始まったら自分は他の部屋に移動して、読書したりゲームをしたりしている。

面白そうな番組があることを事前に察知したら観るけど、何も考えずにテレビで流れる情報を受動的に受け取ることはやめた。

いろいろとやめてみて

もっとやめたことはたくさんあるが、今思い出せないので、思い出したら更新しておこうと思う。

こんな感じでいろいろやめてみて感じることは

自分はいままでどんだけいらない荷物を背負っていたんだ。

ということだった。

やめてみて、めっちゃ楽になった。

やめる前は、誰かに何か迷惑をかけてしまわないかとか、周りにどう思われるだろうとか、何か生活する中で不都合が起きないかとか、いろんな不安を感じたけど、

皆無。

日常は何にも変わらなかった。誰からも何もいわれなかったし迷惑もかけてない。(と思う。)

というか、逆に自分はどんだけ自惚れ屋さんだったんだろうと恥ずかしくなってしまったくらい、自分の存在なんて周りには全く影響なしだった。

今まで、社会で何かいい結果を残そうと自分を高めながら自分なりに毎日必死に過ごしてきた。40代ともなるといろんな「役割」や「責任」が増えてくるわけで、もっともっと自分を高めないとその役割や責任を果たせないというプレッシャーを感じながら毎日頑張っている。

まだまだ人生半ば。背負うものはこれからも増えてくる。だからこそ、一度立ち止まって背負っているものをひっくり返してみて、断捨離してみる。40代になったら、増やすことも大事だけど、減らすこと、やめることをうまくすることも必要。何にでも対荷重ってのがあって、それをオーバーすると走るのを得意としている車だってうまく走れなくなるのだから、人間なんてもっとである。

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