今からおよそ3年前、40代〜50代になると大半の人が陥るという「中年の危機(ミッドライフ・クライシス)」という、大人の思春期ともいわれる苦しいフェーズに突入した。
どれだけ周りから順調そうに見えても、当人にしか分からない閉塞感、焦燥感、やり場のない違和感。 誰に話すでもなく、ただ心の中に留めていたそんな気持ちを、ある日ふとグミを噛みながら考えるようになった。
そこから、自分の中で「やめてみたこと」がいくつかある。 やめてみたら、少しだけ気が楽になったり、眠れるようになったり、心が静かになったりした。
今回はそんな、“中年の危機”をきっかけにやめてよかったことについて書いてみたいと思う。
管理職をやめたら、グミの味が戻ってきた
ありがたくも重たい役割だった管理職。 責任もプレッシャーも大きくて、それなりにやりがいもあったけど、心がどんどん削られていく感覚があった。
管理職をやめてみて一番驚いたのは、ふとした時に感じる「気持ちの軽さ」。 これまで気づけなかった景色や、自分自身の小さな感情に気づけるようになった。 そして、また、ひと粒のグミを「うまっ」と言えるようになった。
過去の栄光にしがみつくのをやめた
「昔はこうだった」とか「自分はこういう人間だから」といった考えに、無意識に縛られていた気がする。
しがみついているつもりはなかったけど、「過去の自分像」が、今の自分の行動範囲を狭めていた。 それをやめてみたら、新しい味のグミにも興味が出てきたし、自分の幅もほんの少し広がった気がした。
飲み会より、グミと静かな夜
義務感や惰性で行っていた飲み会。楽しいはずなのに、どこか気を使って疲れてしまう。
参加しないとどう思われるか…とかいろいろ気にしていたけど、思い切って断ってみると意外と何も起きない。 そして、家でグミをつまみながらYoutubeを観てる方が、よっぽどリラックスできると気づいた。
自分の時間って、グミみたいにちゃんと味わってあげると、意外と甘い。
知ったかぶりは、やめたほうがラク
「そんなの常識だよね」とか「知ってる風」を装うことに、正直かなりのエネルギーを使っていた。 知らないことは素直に「知らない」と言ってみたら、案外それでOKだった。
相手の方がむしろ丁寧に教えてくれるし、余計な緊張感もなくなって、関係も自然になる。 グミでも渡すような気軽さで「教えて」と言えるのって、ちょっといいなと思ってる。
無理して笑うより、素でいこう
誰かが言ったことに反応しなきゃ、とか、その場の空気を壊さないように、とか、そういうことで無理に笑うクセがついていた。
でもそれって、じわじわと心をすり減らしていくんですよね。 笑いたい時に笑う。グミ食べて「うまっ」と言うみたいに、自然なリアクションだけでいいやって思ってる。
組織に過剰に期待しない
会社や組織に「もっとこうなってほしい」と願う気持ちはある。 でもそれが強すぎると、思い通りにならなかった時にすごく疲れる。
「自分ができる範囲でやる」と決めてから、気持ちの波が穏やかになった。 そして、ちょっとした隙間時間にグミをつまめる心の余裕が戻ってきた(これはサボり?)
夜更かしをやめて朝グミに切り替えた
昔から夜型だったけど、深夜のスマホだらだらタイムが疲れに拍車をかけていた。
眠る1時間前にスマホを置いて、代わりにグミを一粒。寝つきがよくなった。
朝起きて、頭がスッキリしてると、「今日もやるか」と思える回数が増えた。
テレビを観るのをやめた
テレビも観始めると1時間、2時間なんてあっという間に過ぎちゃうし、かといって観終わったあとに何か残ってるかというと何も残ってないことが多いのでやめた。
家族はドラマをよく観ているが、ドラマ鑑賞が始まったら自分は他の部屋に移動して、読書したりゲームをしたりしている。
面白そうな番組があることを事前に察知したら観るけど、何も考えずにテレビで流れる情報を受動的に受け取ることはやめた。
やめてみてわかったこと
「やめる」ってネガティブに聞こえるけど、実は前向きな選択だった。
余計なものを手放して、自分がちゃんと呼吸できるスペースを作る。 グミを選ぶみたいに、「今の自分に合うもの」をちょっとずつ選び直す。
それが中年の危機を、ちょっとやわらかく乗り越える方法なのかもしれない。