というね、なんだか自分の意志でそうしたかのようなそれっぽいタイトルにしてみたけど、実態は全然違ってやんの。
簡単にゆうてしまうと、美術大学受験に失敗したからやむを得ず専門学校に飛び込んだっていうね。ええ。ええ。
特に生活には不自由なく育ててもらえたのだが、浪人してまで大学に行かせてもらえるぐらいの裕福さもなく、今考えると専門学校に行くぐらいなら働けばよかったと思うけど、当時は「高卒はヤダな」という、ものすごく浅はかな考えだけで専門学校の入学試験を受けた。
まあ、専門学校でグラフィックデザインを学んでいなければデザイナーという職種に就くことは難しかっただろうなとも思うので良かったっちゃ良かった。
もともと工作や美術は好きだったし、そういうことに関係する仕事ができたらいいなとは考えてたので、デザイン実習的な授業は一生懸命してた覚えがあるけど、それ以外の授業は白目むきながらただただ座席に無機質に存在していた。
ゲーム、CD、書籍の販売や携帯電話代理店をしているお店でのバイトでは結構真面目に働いていて、ゲーム好きなグミ助はゲーム販売担当になりたかったけど、その真面目さがね、功を奏したのか、災いしたのか、なぜか携帯電話販売担当に。
月間契約数100件達成すると店長に焼肉を奢ってもらえるのを楽しみに、自主的に店頭POPを制作して携帯グッズの売り場を充実させたり、どんな問い合わせでも丁寧に対応して、いざ携帯電話の契約の時はグミ助でっ!というご指名をもらえるようにと、一丁前に集客を意識しながら働いてた。
おかげさまで2〜3ヶ月に1回くらいはタダ焼肉にありつけることができていたような気がする。
バイトで稼いだ給料はほぼ全て、ゲームか最新の携帯電話への機種変更で働いているお店にごっそりお返しするという極めて狭い世界で経済をグルングルン回していた。
バイトと明け方までゲーム三昧な毎日で学校もサボりがちになり、単位が足りなくて卒業できないかもしれないといわれた時にはさすがに焦った。
卒業前の春休みに死ぬ気で補習に通い、なんとか留年を免れた。これが火事場のクソ力?っていうのだろうねっ!(違う
卒業後は就職が決まらず(決める気があんまりなかったのもあるけど)バイトを続けてフリーター状態に。
店長奢り焼肉を目指してバイトして、稼いだお金でゲームを買って明け方までプレイ。炊事洗濯は実家の母親がしてくれて、彼女もいなかったから時間拘束もまったくない。
正直にいう。この時が一番楽しかったよ?
そんなフリーター生活を2年ほど続けていたフリーターグミ助にも、とうとう社会の荒波がうずまく大海原に出港する時がやってきたのである。
つづく(続くの!?)
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