ドラクエの話をする前にね、ゼルダのティアキンあたりの話をさせて欲しいんですけど、今回のゼルダ難しくないですか?
炎の神殿の鍵が残り2つなんですけど、トロッコ?の道順がどうしてもわからなくて挫折中です。マップをじっくり見ながらどの順番でトロッコにのればいいのか確認するんですけど、わからないんです。
これはティアキンが難しいのか、グミ助の老化現象によるゲームセンスの衰えなのか、、、ちょっと今はゼルダから距離を置いてます。
そんな中でセールをしていたドラクエ1・2・3を衝動買いしまして、先日ドラクエ1をクリアしました。
ドラクエは4・5・6・7・9はクリアしていて、ちょうど1・2・3は未クリアだったので、ゼルダから距離を置いているこのタイミングで3つともクリアしてしまおうとおもとるわけです。
意外とオープンワールドなドラクエ1
ドラクエ1って竜王の城のある島?大陸?以外の街や洞窟は最初からどこでも行けちゃうじゃないですか?
グミ助なんかは、なかなか武器や防具が強くならないなぁ、おかしいなぁ、おかしいなぁっつって思っていたら、行くべき町を1つすっ飛ばして進行してたみたいで、ずっと「どうのつるぎ」で冒険してました。
町の人たちもあまり親切ではなくて、次どの辺にいけばいいかとかのヒント少なめなんですよね。だから自分で歩いて次の目的地を探さないといけない、まさに「冒険」してる感がハンパないです。
サクッと手軽にプレイできるドラクエ1
ドラクエ1は勇者1人だけで冒険をするので、その勇者のことだけ考えて育てればいいし、エンカウントする敵も1体なので、戦略的なことも考える必要もない。
エンディングまでも10時間弱(グミ助の場合)あればクリアできるので、サクッとライトにプレイできるRPGだといえる。
それでいて、ストーリーはなかなか味わい深いところがあって、とても満足度の高いゲームだった。
モンスターのグラフィックがドット絵じゃなかったのが少し残念
今回はSwitch版のドラクエ1をプレイしたのだが、モンスターのグラフィックがドット絵じゃなくてイラストになっていた点は少し残念だったなと。
モンスター以外はドット絵だったので、モンスターのグラフィックが浮いてるような感じがして、最初は少し違和感を感じた。(すぐに慣れたけど)
制限されることで生み出される可能性
当時のファミコンという今では考えられないくらいの制限された容量の中で、これだけのストーリーを表現できたのはやっぱりすごい。クリエイティブというのは制限の中で工夫され、研ぎ澄まされるところがあるのだと感じた。
今は容量ほぼ使い放題でなんでも表現できちゃう時代である。
なんでも作れちゃう無制限というフィールドで表現できる環境があるのはとても良いことではあるけれど、一方で「工夫」する機会というのは少なくなっていて、結果、「発明」は生まれにくくなっているのかもしれない。
次はドラクエ2だ
ドラクエ2は風の噂で結構難しい(プレイヤー泣かせの要素が結構ある)と聞いていて、自分にクリアできるだろうかと今から少し不安になってきているのだけれども、古き良き時代に思いを馳せながら、ドラクエ2も楽しんでプレイしようと心に誓うグミ助なのでした。
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